2015年10月17日

高野山「阿字観瞑想体験」記

去る9月28日(月)。
神秘の力が宿る満月の日。

お月様が今年一番大きく見えるスーパームーンの日に、
人生初めて高野山に御参りする事が出来ました。

今日は、そのお話です。

私がお勉強している「ハタ・ヨーガ」は、ヨーガの中では密教と言われる類に入ります。

仏教の中でも、密教といわれているのが真言宗。

私の中で、なぜか心惹かれるものがあり、
弘法大師(空海)様によって開創された高野山へは、
いつか訪れてみたいと、ずっとずっと心に秘めておりました。

たくさんの不思議なタイミングが重なり、今回御参りをする事ができて、
本当に有難い事と感じています。


今回、高野山で過ごすために頂けた貴重な時間を出来るだけ有効に・・・、
観光メインではなく、
高野山の清らかな霊気を肌で感じたいと思い、できるだけ修行に近い体験をしてきました。


まずは、高野山大師教会の授戒堂にて「授戒」を受けました。

「授戒」とは、
仏さまの示された戒めの教えを、
阿闍梨様から直接授かり法話を頂く儀式です。

授戒堂の中に通されると、後ろの扉は閉められて、真っ暗になり、
阿闍梨様が奥からお見えになられて、30分間の法話を頂きました。

頂いた十か条の授戒は、以下の通り。
八支ヨーガの禁戒(ヤマ)・勧戒(ニヤマ)に通じるところがあります。

◆不殺生(ふせっしょう)「生きとし生けるものを殺さない」

◆不偸盗(ふちゅうとう)「盗んではいけない」

◆不邪淫(ふじゃいん)「倫理を失った関係を持ってはいけない」

◆不妄語(ふもうご)「嘘をついてはいけない」

◆不綺語(ふきご)「お世辞など、無益なことを言わない」

◆不悪口(ふあっく)「悪罵しない」

◆不両舌(ふりょうぜつ)「二枚舌を使わない」

◆不慳貪(ふけんどん)「むさぼらない」

◆不瞋恚(ふしんに)「怒らない」

◆不邪見(ふじゃけん)「間違ったものの見方」


弘法大師様(空海)は、
「仏も人間も本質的な差はない」と説いていらっしゃいます。

真言密教の根本経典である『大日経』の中では、
「悟りとは、あるがままに自らの心を知ることである。」と説いていらっしゃいます。

自らの心に「ほとけ」と同じ性質の物がある事に気が付いて、
上記の十の戒めを普段の生活の中で、常に生かし、保ち、実践し続けると、
こころの中にいらっしゃる「ほとけさま」を育む事になるそうです。

インドの古い哲学『ウパニシャット』でも、
「全ての人間の身体の中には、素晴らしい神様(プルシャ・真我)がある」と考えれらています。

真言密教は、インドの僧、龍猛菩薩様(別名龍樹)によって伝法され、
その後、中国に渡り、恵果阿闍梨様がこれを弘法大師様(空海)に伝授され、
日本に伝わったとされています。

この辺りも、私が高野山に心惹かれる原因かもしれません。


※「真言八祖」と調べると、
真言密教がインドで成立し中国を経て日本の弘法大師様(空海)に伝えられるまでの、
偉大な阿闍梨様達を知る事ができます。



次に、楽しみにしていた真言宗総本山金剛峰寺の阿字観道場での「阿字観瞑想体験」。


阿字観道場は、通常非公開ですので、
金剛峰寺を拝観した上で、阿字観瞑想体験を申込した人だけが入る事のできる空間です。

阿字観とは、真言宗における呼吸法・瞑想法です。

左上の図を「阿字観本尊」といい、背景は、晴れた夜空。
満月をかたどった「月輪(がちりん)」の中に、
「蓮華(れんげ)」と梵字サンスクリットの「阿(ア)」が描かれています。

澄んだ夜空に美しく輝く満月をみて、今日の自分の心と向き合います。
私達の心は、清く澄みきった静かな仏さまと同じ心であること、
宇宙(全世界)と自分はひとつであることを実感します。

梵字サンスクリットの「阿(ア)」は全ての始まり、宇宙の万物の創世を表わしていて、
この「阿(ア)」の字を見た時には、自分の事ではなく、他人の幸せを祈ります。
生きとし生けるものに対する慈悲の心を育てる練習をします。

姿勢を正し、呼吸を調えて、「阿(ア)ー」という声を唱えながら、瞑想していきます。
始めは静かに、その後大きく、そしてまた静かに、最後は心の中で唱えます。
身体のバイブレーションを感じ、内側から温かくなっていくのを実感しました。

数息観や阿息観、月輪観(がちりんかん)など、色々あるようですが、
今回は、声を出しながら瞑想しましたので、阿息観になると思います。

難しい言葉ではなく、とてもわかりやすい言葉で、
日常的に阿字観瞑想を取り入れられるように指導下さいました。

自分が一人になれる空間、お月様と一体になれる空間、
例えばお風呂などで、自分を見つめる時間を作ってもよいのですよ、と教えて下さいました。

ヨーガでも、神様の言葉マントラ(真言)を唱えたり、キールタンを歌う事が大好きですので、
私はこの瞑想法、好きです。





また、朝6時からの奥ノ院で行われる、朝の勤行にも参加させて頂きました。

御廟の拝殿である、灯籠堂の中での勤行。
数万基の灯籠が照らす、穏やかで静寂な雰囲気の中、
弘法大師様(空海)の元へ食事を運ぶ生身供という儀式も、見させて頂きました。

勤行の後は、誰もいない奥ノ院、御廟をゆっくりと心静かに御参りする事が出来ました。

昨年は、四国八十八ヶ所霊場の一つである竹林寺へ御参りさせて頂き、
今年の5月に訪れた天河大弁財天社(天河神社)で弘法大師様のお話も聞いたりと、
全てが繋がって今、ここに来させて頂いたんだなぁと感じました。




最後に、インドの古い哲学『ウパニシャット』の根本教典から、有名な言葉を一つ引用します。

「万物の創造主は、人間の孔を外向きにあけた。
それで、人間は外のほうを見るだけで、内のほうを見ようとはしない。
ただ賢明な人達だけは、(不死を望むがゆえに)眼を内に向けて真我を見る」

今日も、自分の心と向き合う時間を、
そして「阿(ア)」の字を見て、一人静かに祈る時間を持ちたいと思います。

生きとし生ける物に慈悲の心を抱いて、全てが幸せでありますように・・・・。

  


Posted by kitten at 13:27Comments(0)高野山